量子的洞察

2017/ 06/ 24
                 
かれこれ二十年以上ディスカバリーチャンネルを観ているのだが、数年前から宇宙の神秘...みたいな題材で量子物理の視点から語られるモーガン・フリーマンの番組にハマっている。最近はパラレルワールドの存在が証明され、時間の観念に至っては過去の常識を覆してしまう発見もある。しかし一番気になるのはモーガン・フリーマンの顔のシミが増えたこと。長年に渡り強い照明や紫外線を浴びたであろう彼の顔の皮膚には尋常ではない量の黒いシミがある。その一つ一つのシミの色の濃さが凄いのだ。まぁ、アフリカ系のアメリカ人にはよく見られる現象だが、私には彼の顔のシミを数えてしまう悪い癖がある。従って番組の内容があまり頭に入っていない。要するに私は、モーガン・フリーマンが大好きなんだな。

今朝、鏡を何気なく見ていたら、私の顔にも一つだけ彼のシミに負けないくらい黒い色の濃いシミを見つけた。一ミリにも満たない小さなものだが、当然彼よりも白い私の顔には異常に目立つ。そこでまた、ふと思ったのだが、アフリカ系の人にも色々な皮膚の色がある。大雑把に言ってしまえば黒の濃さが違うだけなのかもしれないが、アメリカにいるアフリカ系の人たちは、アフリカに暮らす人たちよりも皮膚の色は薄い。単に日焼けしていないだけなのかもしれないが、黒くない。マイケル・ジャクソンがまだ黒人だった頃も、マサイ系の人たちより遙かに薄かった。何世代もその土地で暮らしているうちに、そこの紫外線の量に合わせてメラニンの量が変化しているのだろうか?。

最近は日本人の色もかなり変わってきている。髪の色がやけに薄い子供たちが増えている。自然界の紫外線の量は年々増加傾向にあるらしいが、それを遮断する建材の使用が増えたことや、日焼け止めクリームの性能が上がったとか、そんなことが理由なのかな?。人には色の薄い生き物ほど美しいと評価してしまう傾向がある。それは人にも当てはまるだろう。そもそも人種差別は色から始まっているような気がするし、どんなに凶暴でもグリズリーよりシロクマの方が可愛いと思う感覚は多くの人が抱く感情だろう。これは人類を包括する大きな何かの影響を受け、反映しているのが理由ではないのだろうか?。それは可視光線域にある光りの量が関係しているように思う。

夜、街灯に群がる虫たちを見ていると、生き物は光に惹かれる習性がある。暗いからと言ってそこにエネルギーが存在しないわけではないのだが、光を放つ場所には誰もが神々しさを感じ、そこへ向かわざるおえない衝動に駆られるのだ。満たされ、溢れている感じを受けるのは常に光の中である。色は単なる周波数の違いでしかない。ただ、より高い周波数に人は高次なものを感じるのだ。最近の量子物理学ではいくつもの世界が同時進行して存在していることを証明する何かが発見され、更に時間は過去から未来へ向かうものだけではなく、未来から過去へ流れる時間もあることがわかったらしい。つまり、未来も過去も、本当は同時に存在している現在だということになり、それぞれの時間に起きていることは、それぞれを反映しているという結論に達したのだ。

成熟した世界で評価される高次なる形態が光溢れる存在だとしたら、受信帯域の狭い幼い世界では単純に光は良いもの、暗いものは悪いものとしか理解されず、そこに差別が生まれることが簡単に予想がつく。私たちがその幼さとしっかり向き合えたなら、この世界の周波数は劇的に上昇するのではないだろうか?。
                 
        

チャーム

2017/ 06/ 22
                 
私はかなり霊的に敏感な体質だが、御守りやお札を手にしても、具体的に人を守る力を感じたことがない。稀に人の思考エネルギーを認めるが、それは祈祷した人の残存思考でしかなく、やはり危険を跳ね除けるような強いエネルギーは込められていない。言ってしまえばフラシーボ効果を狙ったアスピリンという名の小麦粉と同じだと思う。ただ、それが大好きな人や大切な人からの贈り物だとしたら、大きな力を生むかもしれない。他から必要とされるアイデンティティを持つ者の思考エネルギーは、時として現実を書き換えてしまうほどのパワーを発揮することがあるのだ。しかしそれを神の力だとして崇めたり畏れたりするのは違うと思う。神は人にも物にも降りたりはしない。人は自分自身のワクワクで強くなれるのだ。

先日、ツイッターに気になる書き込みがあった。とある神社で働く人のものだったが、御朱印がネットオークションに出品されていることについてのクレームだった。そんなことをする人はもう神社に来ないでくださいと言うものだったが、世の中では彼らが述べるようなご利益よりも、御朱印の美術品としての価値の方が高いのかもしれない。私は個人的に、今回の騒動に於ける神社本庁の見解に興味がある。宗教とは言え法人である。この経済社会システムの中で組織を維持するための収入はいくらあっても良いだろう。むしろ自ら限定御朱印などを発行し、オークションに出品するべきだと思う。更に、神に仕える者は、如何なる理由があっても人を裁くような発言はしてはいけないと思う。

ところで、神は全てを赦すなんて言葉をよく聞くが、神は人を許したりはしない。何故なら、許すためには裁かなければならないからだ。時々、誰かを許せた自分に陶酔している人を見かけるが、問題は裁いていた自分にあることに気付いていない。御守りやお札に込めた念いをオークションにかけられて怒るのは、それが神の力ではなく、自分の仕事だと思っている人の、ただのエゴに過ぎないような気がする。
                 
        

淫行のおとしまえ

2017/ 06/ 15
                 
酒色に溺れて死んでしまった先輩がいるのだが、原因は孤独だったと思う。若かりし頃に奥さんを亡くしてから、彼の人生は狂い始めた。車を運転していない時にはとにかく酒浸りだったし、そうでない時はソープにヘルスにデリヘルと言った不毛な淫行に走っていた。他にすることがないので、仕事をしている時間も人より長く、それなりの収入もあったはず。たった一人の娘に残そうと、真面目に貯金もしていた。ただ、あまりにも生活態度が悪いので、悪い奴らのターゲットにされたことがある。

ある日、彼はいつもの長距離仕事に出かけ、某パーキングでデリヘルを呼んだ。ずいぶん若い子だなと思いつつも近所のホテルへ行き、女の子の申し出で余計にお金を払い規定以上の営みをしたそうだ。事が終わると女の子の父親らしき柄の悪い男が部屋になだれ込み、警察を呼ぶか、金で解決するかを選べと言われたそうだ。そう、やはり女の子は未成年だった。ハッキリ言って、よくある手なのだ。まぁ、普通は社会的な地位や名誉、経済的な成功をしているバカなおっさんが餌食になるのだが、先輩の金遣いの荒さが田舎のチンピラの鼻についたのだろう。

最近、ある芸能人がターゲットになった。しかしそれは身から出た錆でしかない。何らかの看板を背負って生きている以上、日頃の行いには気を付けた方が良い。人には言えない悩みや孤独を抱えている人は多いと思うが、関係性のある組織や団体に、自分の行いがどれだけ迷惑をかけるのかを少しでも考えることができたなら、間違いは犯さないはず。そして、そんな人をハメる犯罪に関わる未成年に対する教育も必要だと思う。人を騙して得をする奴なんていないのだ。必ずツケは廻ってくる。水に溺れるよりも、欲に溺れて死ぬ方が地獄は深い。
                 
        

歯医者通いの必要性

2017/ 06/ 01
                 
二ヶ月に一度、定期検診を受けている。かれこれ三年ほど続いている習慣で、その間に見つかった虫歯は一本だけ。早期発見ということで三回の通院で治療が完了した。実は五年前、我慢のできない歯痛に襲われて歯医者に飛び込み、三十四本中十九本が虫歯だと言われた。それを全て治すのに二年もかかったのだ。治療費も軽く三十万円を超えた。以来、早めの定期検診を受けることにしている。検診ではクリーニングもしてくれるので、歯はとても綺麗になる。虫歯の原因は汚れなので、それをプロの手で定期的に掃除してもらうことにより防げるのだ。長距離のトラックドライバーは間食が多く、歯を磨かない時間も長いので虫歯が多いはず。虫歯は風邪に並んで万病の元だ。同業に限らず、二か月に一度の検診がお薦め。
                 
        

老人の群れ

2017/ 05/ 15
                 
時々、近所の金融機関に群がる老人たちを見かけるが、あれは年金の受取日なんだな。私の祖父は日本軍の年金と、戦後米軍で働いたアメリカの年金と、日本で普通に働いた厚生年金のトリプル年金長者だったらしい。祖父は会う度に三万円をくれる人で、それは私の幼稚園時代から高校三年生の夏のある日、彼が死ぬまで続いた。年金なんて貰わなくても平気なくらい大金持ちだったはずだが、同年代の人たちと同じことがしたかったんだろうな。子供ながら、祖父の孤独には気付いていた。彼は死ぬときに、「金じゃ何も学ばん」...という言葉を残し、子供たちには一円も遺産を残さなかった。私もいずれはあの群れに参加するのだろうか?。
                 
        

組織化の闇

2017/ 05/ 01
                 
与える準備のある者も、奪うことしか考えていない人との関係が増えればすぐに枯渇する。最低限必要な利益も出さずに給料を当たり前に持って行く人ばかり雇っていたら、会社はどんどん痩せる。それを止めようとすれば、払うのをやめるしかないのだ。ブラック企業が増えてしまった理由には、実はそんな側面もある。私も単なる一人の労働者に過ぎないが、会社が過払いしているのではないのか?と思う仲間が多々いる。

組織というのは、そこで働く人たちの運命共同体だ。個人で負えない責任も、団体の体力があれば果たすことができる。かつてはその利益を経営者が独り占めしていたがために、労働者を保護する法律が整備されたのだが、今はそれを逆手に取り、奪うことに熱中する輩が増えた。寄生虫が増えすぎれば、ホストは本来の能力を発揮できないのだ。どうすればより多くの人が幸せになれるかを常に考え、行動できるまでに成長した個人が増えない限り、人々は光のない闇の中で手探りを続けるだろう。
                 
        

天国と地獄

2017/ 04/ 15
                 
私は今の仕事を愛している。家族を犠牲にしないことや、他人を踏み台にしないことが前提だが、好きなことをし、追究する意欲があるのは良いことだと思う。しかし残念なことにトラックドライバーは社会の嫌われ者で、常日頃バカだのクソだの言われる存在。まぁ、見ていると確かにそんな輩は多い。天国の高い業界には、それに比例する深い地獄もあるのだ。人は様々な悪意に触れて地獄を体験しなければ、天国の存在に気付かないのだ。従ってこの世界は完璧に機能していると思われる。
                 
        

辞めどき

2017/ 04/ 01
                 
多感な時期を昭和の真っ只中で過ごした私は、まさか自分が三つの年号を生きることになるなんて想像もしていなかった。生前退位して欲しい人はもっと身近に大勢いるのだが、天皇陛下がもう体力の限界らしい。確かに、死ぬまで働けと言うのは酷だよね。私はできることなら死ぬまでトラックを運転していたいが、人に迷惑をかける前にちゃんと辞めるつもりだ。自分で判断できるうちに身を引く。それができなくなってトラブルを起こし、恥ずかしい最後を晒すのは嫌だからね。さて、新しい年号を何年走り抜けられるかな?。どうやら再来年くらいには年号が変わるらしい。
                 
        

過払いの闇

2017/ 03/ 15
                 
以前、趣味でトラックドライバーをしている闇金屋の知人にこんなことを言った。「金を借りなきゃならないような奴に、よく平気で金を貸せるな!」と。すると、法外な利率でも七割の人はちゃんと返してくれるんだよと教えてくれた。まぁ、闇金屋さんからしか借りられない事情がある人たちなのだから仕方がないし、そう言う条件を納得の上で借りたのだから、約束通り返すのが人の道だろうと思う。

ところが今は法律を盾に逆取り立てが流行っている。闇金屋は元より、正規に営業している金融会社までもがターゲットだ。中には闇金からお金を借りて、他の厳しい取り立てをする業者に返し、その足で警察署へ行き、お金を貸してくれた闇金業者を告発する輩もいるという。もうそうなったら人の道は歩めないだろうな。お金絡みの闇は深い。
                 
        

権利と義務

2017/ 03/ 01
                 
権利ばかり主張して義務を果たさない輩に頭を抱えている。小さな運送会社は運転手にも経済状況が手に取るようにわかる。つまり、自分が乗るトラックにいくらのローンが残っているのかとか、それを払いながら必要な経費と自分の給料も稼ぎ出すにはどれだけ働けば良いのかなんてことくらい誰にでも計算できる。従って赤にならない売り上げ金額も一目瞭然なのだが、それすらも無視してお金だけ手に入れようとするのは、人としてはもう最低だ。

ところが、そんな労働者ですら法律で手厚く守られているのだから、経営者がブラックになるのもわかるような気がする。まぁ、そのツケをどこで払うことになるのかは知らないが、いずれは大勢にフォローさせている分の利子がついて、何倍にもなって還って来るだろう。人ってどこまで恥知らずなずるさを発揮できるのだろうね?。とりあえず、私にできるマインドコントロールをフル稼働中。
                 
        

衛生管理と死の関係

2017/ 02/ 15
                 
禅の逸話に、本当に誠実な人は約束を絶対にしないというのがある。明日も生きているとは限らないからだ。まぁ、確かにそうだろう。仕事柄、数年に一度は路上で亡くなっている人を見かける。死は突然やってくるものなのだ。自ら死を招いている事象も多いが、本人には自覚がない。そんな人に限って、沢山の守れない約束を抱えている。自分自身に不誠実な態度で生きているから、当然、他人に対しても不誠実になる。

数十年間この交通社会で暮らしていると様々な統計データが蓄積されてくる。車内の衛生管理ができていない人の事故を起こす確率が高いようだ。そして汚れの度合いと死の確率は明らかに比例している。要するに、普段の生活態度が不幸の原因なのだろう。身の回りの管理ができない人は、他人に迷惑をかけても気にしない傾向にある。物事の大小に関わらず、甘えは死を招くのだ。
                 
        

信頼

2017/ 02/ 01
                 
「信じてるよ!」...なんて言葉を言われたことがあるなら、あなたは確実に疑われている。そもそも何も疑っていない人に対して、信じるなんて言葉は出てこないものだ。因みに私は誰も信じていないので疑う必要もない。従って、誰かに裏切られるなんて事態にもならないのだ。人だけではない...車だって毎日期待に応えてくれるとは限らないから、日々の点検と消耗品の交換は怠らない。

時々、信じていた人に裏切られて心を病んだなんて言う人を見かけるが、いったい何を甘えているのだろうと思う。親に養ってもらっている子供でもあるまいし、自分の人生が変わってしまうほど重要な事柄を何故他人に任せられるのかがわからない。幸せは誰かにもらうものだと勘違いしているんだろうな。

取り引きのあるところに愛などないのだ。無条件に分かち合ったり、与えることができないのなら、結婚生活でさえ地獄になるだろう。信じる者は救われない。何故なら、疑いのないところには信じるという意識も存在できないからだ。もしもあなたが誰かに「信じているよ」なんて言ってしまったとき、同時に「疑っています」と言っているのと同じだと思い出して欲しい。つまり信用と疑念は表裏一体ということ。どうしても何かを信じたいのなら、自分自身を信じればいい。
                 
        

キャパシティー

2017/ 01/ 15
                 
体験のない知識から知恵は生まれないが、体験だけで培った知恵は浅い。この業界には無知丸出しで傲慢な態度を取る人が未だにいるが、知識と体験が豊富にあれば自然に気持ち良く楽しく生きる知恵が湧く。当然、そんな人との関係性において不愉快になる人はいないだろう。

人生なんて、そもそも自分が幸せになるためのものではない。誰かを幸せにしてなんぼなのだよ。キャパシティーとは、そんな器の大きさのこと。それが満たされて溢れたものでしか、本当の意味で周りを潤すことなんてできないのだ。生きるってことは基本的にサービス業...とりあえずここまで気付けば、器は大きく成長するし、その人生は劇的に質を変える。
                 
        

デバイスとアプリの相性

2017/ 01/ 01
                 
専用のブログライティングアプリが用意されているサイトを選んでいくつか登録してみたのだけれども、プレイストアのレビューを見ると誰もが欠陥について辛口な意見を書いているものだからダウンロードする気が失せてしまい、結局ブラウザでページの拡大縮小をしながら使っていた。しかし5インチの小さな画面でパソコン版の編集画面を使うのはなかなか難しく、痺れを切らしてアプリをダウンロードした。

ところが実際に利用してみると多くの人に起きている不具合が現れない。要するに、スマホやタブレットとの相性みたいなものがあるんだろうな。私のスマホは楽天で買ったアローズのM02。今のところサクサクと、明らかにブラウザよりは速く動いている。つまり情報のやり取りに無駄な計算がないと言うことだよね。良い買い物をしたのかもしれない。